20261019|けれど光はこだましない



 隙あらば学園アイドルマスターをしています。話が面白すぎる。夢と、その夢に向かうみんなのそれぞれの頑張り方の話が好きです。千奈さんの話の中で、夢を見るのは重いことだと言う千奈さんに対して、夢を見る最初の1歩目は気軽な気持ちでもいい、といった内容の言葉をプロデューサーが返す場面があり、そのプロデューサーの言葉は自分が生きてきた上でずっと感じていたことだったから嬉しくて嬉しくて、なんだかんだね、ずっとそういうもののことが好きだと思うな。だって憧れがなくっちゃ、そうして始めてみなくっちゃ、そこから生まれるものなんて何もないんだから。とりあえず今は千奈さんの第10話と、手毬と美鈴(何も知らない状態で歌だけ聴いてた頃、この三人のものが特に好きだったので)の第9話とTrueを見たんですけど、一旦全部で泣いたのでこのまま行くと全員分で泣くことになりそう。楽しみです。ほんとに今は時間あればやってるのでスタミナとサポートポイントとマニーが全然ないです。あとちょ……っとスクショの枚数がえらいことになっています。ライブで写真撮るのが好きすぎるあまり……



 そんなこんなで今週(先週?)は『二○二四年・七月七日』という話を書きました。うーむ……なんか、どうなんだろう? あんまり自信のある感じではないです。ほぼカワラが自分のなかみを覗き込んでいる独白のようなものだから(これまでもずっとその側面はあるけれど)。ここ最近は仕事上で新しいことが色々あり、自分自身もものすごく焦っている感じがしていて、なんというか自分という人間のこれからの立ち居振る舞いを模索しているような日々なので、逆にそういうごちゃごちゃとした感じが今なら文章で表現できるのではと思った結果がこんなふうでした。しかし私はスギ爺とカワラちゃまの会話を書くのが好きすぎるかもしれんね。大事な箇所にヤマモモくゃんを持ってくるのも好きすぎるし。もはや……手癖?
 ところでいつも似たようなことで悩んでいる気がするけど、私たちっていつになったらこういう焦燥感から解放されるんだろう。もしかしたら一生このままなのか……な? 手毬もそう思う?



 しかし先週は眠すぎた。尋常ではなかった。なので仕事以外で外出したのは友だちに会ったことだけです。小学生からの友だちなので幼馴染って感じなのよな。ずっと地続きで遊んでいるからあんまり意識をしたことはないけれども。会うたびにいつも最終的に牧場物語の婿候補の話をして解散しています。盛り上がりすぎる、この話題。今はみんな風のグランドバザールをやっているので、それについて話しました。昔から全員婿候補の好みが違うので(たとえば私はグレイで、友人ふたりはカイとクリフだったり)取り合いにならなくて平和だ。そもそもなんで全員牧場物語をやっているのか謎である。学生時代はこの話したことなかったのに……。これからもみんな平穏に幸せに過ごしてほしい。私は一緒に不老不死になろうよと思っているような重い女だけれども。



 あと急にgoghを始めました。作業アプリがやりたかったというよりは、自分がどのくらいぶっ通しでいつも創作をしているのかが気になってそれを確かめています。書いている間って基本そこから動かず、どんどん姿勢がより悪いLみたいな体勢になりながら物も食べないで書き続けているので、測ってみたらちょっと面白いかなと。今のところ休憩時間も全無視している。とはいえ、ストレッチはちゃんとした方がいいだろうな……



 ところでこの間、ずっと使っていた(?)自分の杖が折れました。不穏すぎるだろ。パドックという赤い木の杖なのですが、迎えたばかりのときに撮った2枚目の写真とこうして比べて見ると、随分経年変化したものだなと思う。これはこれで素敵だなと思いつつ、新しい杖を迎えるまでの間の魔法はどうするか……と悩んでもいる。やっぱり不便じゃない? ルーモスが使えないとさ。
 

20261012|ばらと呼ぶには赤すぎる

 


 まーた今週の記憶がないよ。なんかめっちゃ制作はした気がするのだけれども、ドカッと来た仕事をこれまたドカッと納品したので何がなんだったのか曖昧だ……でもなんだかんだ調子は悪くないです。やっぱ多少忙しい方が調子がいいな。暇だと余計なことを考えてしまう。いや余計なことを考えさせてくれよと思わなくもないけど。どっちだよ。何はともあれ、GGがtacicaをカバーしてくれたことが今週の特大ニュースです。ほんと嬉しいよ。生きてるといいことがあるもんだぜ。聴いてね(♪)

youtu.be


 今週は『二〇一六年・三月五日』という話を書きました。ルリトラちゃまがカワラのシノビになってから二日後の話です。とはいえ……ウラジロニキってかわいいよね……という感情ばかりで書いたのでこれ以上特に言うこともなく、現場からは以上です。ジロニキと話しているときのカワラはけっこう感情が出るので書いてておもしろいです。でもジロニキはそれにあんまり気付いてないので、この話の本物の鈍感ってもしかして兄貴の方か?と思ったり思わなかったりしています。いま書いているこのシリーズについては、気楽に本気で書くという訳のわからない状態でやっているので全然終わりが見えませんが、長くともあと10話以内には終わらせてくれないか?と自分に思う。こういうこと言い出すと大体その話数以内に終わらせることができないのが自分の悪癖ですね。でもどうにかおもしろく決着をつけられたらいいと思います。地味に、自分の中で今年の創作テーマは「決着」としているので、始めたものを完結させることを目標にしています。ちゃんと書ききったと納得できるかたちで。やるぜ〜。



 そして突然学園アイドルマスターを始めました。突然というか……レスレリがサ終ということで、心がかわいくて熱い女の子を求めてやまず……彷徨った結果、学マスに救いを求めることになりました。ずっと気になっていたから、倉本千奈さんのことが……
 想像よりずっとかわいいです。ステージ上にいる千奈さんはリスのように小さいのに目が離せなくて、むしろ小さな彼女が一生懸命走り回って声を出して歌を届けようと心臓を動かしているからこそ、我々はその姿をつい目で追ってしまうのかもしれないなと思う。大きな声で嘆いたり、にこやかに弱音を吐いたりしていたかと思えば次の瞬間にはぴんと背筋を伸ばして前を向く千奈さん、おきあがりこぼしみたいで好きだ……つらいときにつらいと言える人間の強さが好きです。それは自分を助けてくれる人たちを信じているということだし、そういった人たちのあたたかさを知っているということだから。そんな彼女の歌がいつも希望や夢、憧れを歌っているところが素敵だ。



 今、親愛度9です。A+でtrueを見るのを目指して頑張ります。元々雪歩の担当をしていて、なんだかんだちゃんとアイマスをやるのはプラチナスターズ以来なので10年ぶりなのですが、これがスマホなのすごいな……と感動している。なんかみんなずっとかわいいし。かわいくて熱い女の子たちってほんとに良いよね。少女小説的な愛おしさがあるよ。


 あと、スタバのポケモンコラボのタンブラーが届きました。予約した当日は尋常じゃない人数がオンライン上に並んでいてたまげた。しかし千奈さんといい、ほんとにこういう色合いというか雰囲気というかが好きだよな、自分は……
 じゃ、また!




 

20261004|竜宮城には鮫に乗って



 繁忙期が、終わっ……た!
 と思う。今年は最も大切なイベントの前日から風邪をひいて全然声が出なくなってしまい、あんなに焦ったのは学生時代、怖い先生が担当しているデッサンの授業の日にノロウイルスにかかったとき以来かもしれない。じゃあもっと焦って生きろよと思わないでもない。薬漬けになりながらなんとか本番を終えることができました。一人でやってると、体ぶっ壊れたときに頼れる相手があんまりいないのが難しいところだなと思う。そんなこんなで自分が思っていたより疲れていたようで、今日は半日くらい寝ていました。
 さてさて、今週は『二○一六年・三月三日』という話を書きました。ルリトラちゃまとの出会い回で、中盤以降のシチュエーションやセリフはじぇいさんが考えてくれたので今回自分はあんまり何もしていないです。感謝。前半部分とポケモン勝負をうきうきで考えたくらいだ……当初は4月を想定して書いていたのですが、青龍が司るのが1月〜3月という記述を見かけたのでそれに倣って3月にしてみました。あとけっこうルリトラちゃまは乙女なところがあるという認識なので、ひな祭りの日にしてみるなど。どうかしら? 小説を書くときは参考としてモデルにしている国の建築を調べることが多いのですが、龍華古寺はすごくアジュロンっぽい建物だなと思っていて、なので今回道場の屋根辺りにその雰囲気を取り入れています。そんなふうに書きながら、ウロコってちょっと花びらに似ているよなあと感じて、あんなふうな結びとなりました。
 あ〜、しかし文章を書くのは楽しいぜ。それがこういうブログやSNSでの自分とかけ離れていればいるほど、私は自由だなと感じることができる。わかりやすい名前を失って何者も演じていないときに出てくる言葉だけが、真実私であるとさえ思う。基本的には自分のことも、自分が言う言葉のことも嫌いなのでね。文章の中に、粉々になった自分の魂の破片のようなものが散らばっていればそれでいい。と思う。



 ところで、今日はガラルから額装されたジムバッジが届きました。いや懐かしいね。信じられないくらいひとつひとつが重たくてびっくりした。生粋のカントー人のくせしてガラル地方の大ファンなので、こういうグッズいっぱい出してほしいよ。これを秒で注文しながら、そういえば剣盾が発売した当時も、好きになるかもどうか分からないダンデのグッズ(ゲームと同時発売だった)をめちゃめちゃ注文したっけな……ということを思い出して、我ながら自分のことよくわかってるなとじわじわきていました。ダンデのキャップとかマントブランケットとかね。現役で使ってます。スタバコラボのタンブラーも頼んだので早く届いてほしいな。



 ここ最近はほんとにSNS疲れのようなものがひどくて、見ているだけでだいぶ気が滅入るので、逆に(?)めっちゃ創作とゲームをしようとしています。シルバーウィークに三回くらいサイトを更新したのもその影響がある。とはいえゲームはいつもやっているのですが、近年大体決まったシリーズのものしかプレイしていなかったので、自分のときめきに正直になろう、ということで『Little Witch in the Woods』を始めました。ドットというかグラフィックがかわいすぎるし、世界観も好きだし、やっててわかったけどシステムもめっちゃ好き。動植物をスケッチして図鑑をちょっとずつ埋めていくところとか、でっかい釜(!)を使っていろんな調合をするところとか、住人と毎日雑談できるところとか。今10時間ほどやったのですが、超〜〜かわいいのでおすすめです。ころころいぬも、もちもちウサギも、光るねこもいるし。



 疲れている、というよりは恐れているのかもしれないな、とふと思う。自分の好きなものを好きであると大声で発することを。そんなことではいけないな。自分の言葉が嫌いだとは言ったものの、私の川を守れるのはいつも私だけなのだから。

20260920|灯すこと、伴すること




 今年の9月……なんというか秋というより雨という季節なのではないでしょうか? 今日も雨が降り続いています。ただ調子は若干取り戻したように思う。気分が落ちているときほど普段のリズムを崩すなという教えを何かで聞いた気がするので(本でだったか仕事でだったかは忘れた)こういうときはひたすらいつも通りに仕事をし、文章を書き、本を読むをくり返している。アトリエをやりたい気持ちが湧いて出てきているのでこれはもうほぼ晴れといってもいいでしょう。ずっと錬金術ばっかやってきたから、もはやアトリエをやる意欲のあるなしが人生のひとつの指針になっているな。アトリエといえば、カリアのアトリエにユミアだけでなくレイニャやルトガーも出るみたいですね。あまりにも嬉しすぎる。なんかさ、異常にルトガーのことが好きだから……サングラス変わってるのにあのでかい鎌で戦うスタイルは変わってなさそうなの笑いました。面白いやつ。
 今週は『二○一九年・一二月二三日』を書きました。あかりさん宅のスギ爺をお借りしております。火にまつわる様々をテーマに書いてみました。スギ爺と話しているときのカワラはなんとなく若干口数が増えるイメージがあるのですが、これはともするとスギ爺に対するカワラのちょっとした甘えなのかもしれないと思ったりなんかもするわけです。リーグのみんなはそれぞれ少しずつスギ爺に甘えている部分がありそうでいいよね。火のいいところは……これは昔からずっと思い続けていて書き続けているつもりなことでもあるのですが……分け与えても元の火が減るわけじゃない、というところだな、と常々感じます。個人的にはスギ爺にはそういう火の印象があって、それを話の中で書けていたらいいなと思う。しかし私はこの物語を一体何話書くつもりなのでしょうか。牛歩。ポケモンに出てくるうし系ポケモンたちはみんな足が速いというのに……



 さて、今週は友人が手作りフワンテをくれたり、友人とポケカを探してコンビニを徘徊したりをしていました。いま繁忙期で頭がどうにかなっているので、友人たちに励まされながらなんとかやっているという感じです。感謝。あとはどうにか時間を捻出して読書量を増やしています。友人との時間と読書は心を洗うようだ……こういう雨ならいくらでも浴びたいところだな、本当に。
 友人から頂いたものという話でいうと、先週書き忘れてしまったのですが、『星を噛む』で金平糖というお菓子を選んだのは以前ノザさんがくれたあおいとりアクキーに描かれている星がカラフルでかわいくて、金平糖みたいだなと思って愛でていたという理由からです。いつ見てもかわいすぎるアクキー。千年後の人類が見てもかわいいと褒め称えるでしょう。永遠になってほしい。以下、かわいすぎ罪のアクキー。


 ところで、このあいだSNSで見かけた、誕生日ポケモン366日ぜんいん対応版というものを好奇心でやってみたのですが、トドゼルガが弾き出されて信じられないくらい驚きました。確かに私の誕生日は12月30日で、1年を366日とすると365日目の生まれで、トドゼルガは図鑑番号365なので何もおかしなところはないのですが、20年以上トドゼルガをパートナーとしてポケモントレーナーをしているので、さすがにびっくりしてしまいました。こうなっては私も運命とやらを信じてもいいのでしょうか? どうぞこれからもよろしく、トドゼルガ!



20260913|月なんか溶けちまえ



 体調が悪い。ちょっと自分でも信じられないくらい、全部の歯車が錆びついて固まっていて、回りたいという焦燥感だけが同じ場所で渦巻いている感じがする。精神がおかしくなっているから身体も不調なのか、身体が不調だから精神もおかしくなっているのか分からない。とても1ヶ月ちょっと前の自分と今の自分が同じ生き物とは思えない。不思議だ……。とはいえ明らかにおかしいだろうと思って調べてみたら、季節はもう秋で、ほんの少し前に比べて随分と日照時間が減ったみたいですね。最近ずっと雨か曇りだし。これが原因なのだとしたら、あまりにも太陽に生殺与奪を握られすぎているような気もするけれど。自分のことをもうずっと夜の生き物だと思っていたのだけれど、もしかしたら昼の生き物なのか? とにかく、晴れるといいなと思います。明日は。
 今週は『星を噛む』という話を書きました。あおいとりです。見上げた空から受ける印象が季節によってそれぞれ異なるように、季節が巡るタイミングが来るとあおいとりが書きたくなります。あと明らかに私自身の調子が悪いときの方があとりのことを書けるので、こういう不調が来るとあとりチャンスが来たと思っていたりもする。変になっているときにしか出てこない文章があって、後から見返すとウワやばいなと思うことも多いのですが、小説は私にとってある種日記のような側面もあるのでやばいときの文章もそれはそれで趣があるなと最近は思えるようになりました。というか、私自身もあおいちゃんの光に焼かれながら救われたいとどこか思っているところがあるのかもな、とあおいとりを書いていて思う。恋を宗教にしたくないあとりと、でも恋ってそういうところも多かれ少なかれあるでしょうよという私との、取っ組み合いの戦い。今後も何とぞご観戦よろしくお願いします(?)




 先日、友人とピングー展に行きました。めっちゃ楽しかった。一生謎のピングーのディスコミュージックみたいなのが流れてて面白すぎたし。ピングーの撮影に実際使用されたクレイフィギュアがこんなにいいんですか!というレベルで大量に展示されていて、超見応えあったな〜! ありえない大きさのピングーぬいぐるみや、自分の話した言葉がピングー語で返ってくる体験エリアなんかもあってずっと爆笑してた。ピングー自体は、ピングーとピンガがめちゃくちゃポップコーン作りまくる回と、ママがピンガにかかりっきりでピングーが寂しくなってしまう回が好きです。寂しい心はいつでも抱っこされるべきだよ。



 ピングー展に行った後はプリキュアのPOPUPに行きました。このこむぎといろはがかわいくてかわいくて、ど〜してもアクスタが欲しくって。パネル見られたのもよかった! ほんとかわいくて嬉しいです。先行販売していたトラベル用バッグもかわいかったな。旅行の予定でもできたら購入したいかも。



 それから、いつものことながらポケモン関連で色々買いました。米Amazonから無事に海外限定のポケモン図鑑本が届いたので一安心。まだパラ読みしたくらいなのですが、すっごい面白い内容なので嬉しいです。特に各地方の説明文が面白い。ゲームだけではなくてアニメやカードにまで言及してくれているところも面白いし、文章自体が海外のウィットに富んだ感じなのも好みです。パピモッチのページに、「パピモッチは、酵母を使っているすべてのベーカリーからおやつをもらうべきですよね?」みたいなことが書いてあったのもかなりよかった。かわいすぎる。
 無事といえば、ポケマスの一番くじで無事ダンデのポスターを2種類引くことができました。ミニアクリルパネルも2個当たったので、ネオチャンピオンのチェレンとマリィを選びました。なんか余裕でレッドのフィギュア引くつもりだったので引けなくてそれは残念だったな。なんで引けると思ってたのか分からないけどめっちゃ引く気だった。グリーンの魂でも乗り移ってたのか? ちなみにこの間の26アニバーサリーのグリーンは引けました。超重傷だったけど。やるな、さすがは私のライバル……



 しかし、どうにも胸の支えが取れないな。カワラも今こんな気持ちなんですか?
 最近はAIが発達してきたことによって色々な物事の速度が上がっていて、なんだかすべてが、新幹線の窓から見る景色みたいに曖昧に霞んで見えることがある。このところ考えているのは、文章による創作がこれからもっと、ただでさえ軽んじられがちな今よりも更に重みを失っていく時代に突入したのかもな、ということ。稀にそういう人がいることは分かっているけど、多くの人間が、生粋の絵描きに生成AIの絵を胸を張って見せることはしないだろうし、音楽も同様であると思うけれど、こと文章表現においてはそういった配慮がされる場合というのはあまりないのではないだろうか、と最近思うようになった(自分ですらそうなのだから)。はっきり言うと、私はAIによって生成されたアイデアや小説が嫌いだ。仕事でAIを雑務な面で頼ることもあるし、それを用いて物事の集計や分析をすることは嫌いじゃあない。だけれどもAIの得意分野は物をゼロに等しいところから生成することではないと思っているし、それに頼った創作物ほどつまらないものもないと思う。これが私にとっての味のないガムだとさえ言える。だって、創作はシンプルなのに。ペンと紙と、他の誰でもない自分の頭だけあればできるのに? そう思う。それさえあれば、すべてできる。そして、人が書く文章にはすべてを行うことができる。他のすべての創作が同じであるように。私は誰かが書いてきた文章に救われてここにいるので、それを疑うことはない。人の書くものが好きだ。人が考えて描く創作物が好きだ。こんな当たり前のこと書きたくないのにな。こんなことは、全部創作で表現すべきなのに。あー、早く元気になりたいよな。早く思い出させてくれ。小説にはこんなことができるんだと!